親がちゃ

 親がちゃという言葉があるそうですね。私は昔の言葉は結構知っている方だと思いますが、次から次へと出来ては消える新しい言葉には対応できません。
 親がちゃというのは子は親を選べないから金持ちの親かそうでないか、高学歴の親から生まれるかそうでないか、どの親から生まれるか運次第で人生が人生が決まってしまうという考えだそうです。あたかもゲームガチャポンのように。
 痛々しい発想です。それなら教育は何の意味も持たなくなってしまいます。
 少し話はずれますが、かつて(大分昔)教師になれば奨学金を返さなくてよいという制度がありました。教師にしかなれないというのがつらいところですが、一定の学力がある若者を救済できる制度ではありました。かつては国立大学は今よりもずっと安い授業料で通うことができました。学力のある若者を国立大学で吸収する制度でしたが、東大生の出身家庭が高収入であるなどの批判を浴びて、公平性の観点から国立大学の授業料が私学並みに引き上げられました。本当は私学の授業料を国立並みに引き下げるべきだったのでしょうが、当時はそのような発想もあまりありませんでした。
 教師限定の奨学金返済免除もなくなりました。公平性の観点からはいささか問題のある制度でしたが結果としてはセーフティーネットが一つ二つとなくなりました。
 今、幼児教育保育課程に通う大学短大生の多くが奨学金という名前のローンを抱えているのだそうです。
 昔、幼稚園志望の学生は保育士の資格は特に必要ではありませんでした。逆に保育所志望の学生は幼稚園免許は特に必要ではありませんでした。今、制度が揺れ動く中で幼保の学生は幼稚園実習、保育実習、施設実習を受けています。しかも日数がかつてより随分増えています。幼保共通の実習か半分ずつの日数でよいのではないか。そのような中で奨学金を返すためにアルバイトをして、いったいいつ勉強するのでしょうか。
 教育は楽しくてやりがいがあるのに、その楽しみを知らない学生が就職して幼稚園保育園の子どもたちに教えて、子どもたちが学ぶことを楽しめるとは思えません。
 幼保は他に先駆けて無償化が行われました。随分助かっている家庭も多いと思います。ただで教育を受けることが良いことだとは私は思いませんが、大学を含めて無理にアルバイトをしなくてもだれでも安い値段で教育にアクセスできるようにしなければ学生が可哀そうなだけではなくて、それによって行われる教育全体にマイナスの影響を与え、ひいては国力全体を引き下げるのではないかと私は思いますがどうでしょう?
 ちなみに親も子を選べない「子がちゃ」という言葉もあるそうです。そりゃそうですよね。
 子「産んでくれと頼んだ覚えはない」親「お前のような奴に生まれてくれと頼んだ覚えはない」

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